第百五代伊勢会紹介
大神/藤井 道博
伊勢神社の御祭神「天照皇大神(あまてらしますすめおおかみ)」は、日本神話の最高神であり、太陽を司る女神です。皇室の祖先神かつ日本国民の総氏神とされ、三重県の伊勢神宮(内宮)に祀られています。佐賀の伊勢神社は全国で唯一、伊勢神宮より分霊を勧請することを認められた神社で、「九州のお伊勢さん」として古くから親しまれています。
伊勢神社は、凡そ480年前の戦国時代に神埼郡田手(現在の吉野ヶ里町付近)に奉祀され、その後鍋島蠣久(現在の佐賀市鍋島町)を経由し、凡そ430年前に佐賀藩主・鍋島家の崇敬のもと、佐賀城下町の整備に合わせ現在地(伊勢町)に遷座されています。
伊勢会は、明治17年に米穀商が結成した「伊勢講」に由来します。当時、神社前で米相場をたて、その手数料の一部を神社の維持費に充てていました。その後、商工業者も参加し、「伊勢講会」「伊勢神社奉賛会」を経て、大正12年に伊勢神社の祭典奉仕を行う現在の「伊勢会」となり、大神を実行委員長、小神を補佐役とし、氏子さまと共に毎年の伊勢神社祭典行事を執り行ってきております。
この度、伊勢会の第105代大神を拝命し、真に恐縮至極であります。私と四名の指定小神、佐賀市内二十二地区の小神、合わせて二十七名で力を合わせ、伝統ある由緒正しき伊勢神社が「信仰と感謝の場」としてこれからも皆様方にとってより身近に感じられるよう、伊勢会の務めを果たしていきたいと思います。
来る令和九年二月の「伊勢大神宮大祭」では、十日午後五時の前夜祭、午後八時からの「特別祈願祭」、十一日午前零時の「建国祭」において神武天皇による日本国建国をお祝いし、我が国の安寧と弥栄をお祈り致します。続く「伊勢会祭」「恵比寿祭」「特殊大祭」において五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄を祈願致します。
また恒例の少年剣道大会をはじめ各種奉納行事を盛大に執り行い、更に福引、名物伊勢うどん、福餅投げなどの催しにより楽しい「お祭り」にしたいと考えます。
是非とも、多くの皆様方にご参拝頂けますよう、心よりお待ち申し上げます。
第百五代伊勢会大神 藤井道博
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鐘ヶ江指定小神 -
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福島小神 -
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江口小神 -
水ケ江地区
平山小神 -
諸冨地区
松澤小神 -
川副地区
池田小神 -
鍋島地区
納見小神 -
愛敬地区
松本小神 -
循誘地区
田中小神 -
白山地区
龍 小神 -
事務局
副島 -
事務局
濱田 -
事務局
太田
佐賀伊勢会顧問
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顧問/吉野 徳親
第八十三代 大神 -
顧問/平 龍三郎
第八十四代 大神 -
顧問/本島 直幸
第八十九代 大神
伊勢会大神前六代紹介
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第九十九代
大神/中野武志 -
第百代
大神/中尾清一郎 -
第百一代
大神/吉原正博 -
第百二代
大神/山田裕久 -
第百三代
大神/田島広一 -
第百四代
大神/鵜池浩四郎
伊勢会のご紹介
伊勢会の沿革
天正二年(1574年 室町時代)鍋島藩祖の鍋島直茂が佐賀築城の際に、当時栄えていた鍋島蠣久より現在の地に経済の中心を移すべく蠣久市場に座を設けていた雑穀、酒類、油類、木綿類、鋳物類、塩の六業社を城下に移り住ませたのが六座町で、同時に天満宮もその町内に移し(現 北面天満神社)ついで慶長十年(1605年 江戸時代)に蛎久より大神宮を移し伊勢大神宮を建立し、その門前町としての伊勢屋町は、参詣や商用で城下を訪れた人が宿泊する旅館街であり、伊勢屋本町には呉服屋が軒を並べていました。点合(てんや)町は夜店が立つ町で夜遅くまで露店が並び賑やかで、これらの町を中心として佐賀の商業が繁盛するに至りました。明治初期までは六座町の天満宮の祭礼も盛大に行われ、伊勢神社への参拝も絶えなかったのですが、明治維新後社会の変動によって天満宮の祭礼は中絶、伊勢神社への参拝も少なくなりました。明治十七年に至って佐賀米会所(後に佐賀米穀取引所となる)が設立され、ここをとりまく米穀商が「伊勢講」を結成、毎年二月十一日に伊勢神社前で米相場を立て取引を行い、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、売買手数料の一部を神社維持費に充てるようになりました。それが年々盛んになり米穀商だけでなく、その他の商工業者も参加するようになり、その総代として大神、講員の中から小神と呼ばれる世話人も選ばれるようになりました。この「伊勢講」は大正初期まで続いたようですが、時代の移り変わりと共に「伊勢神社奉賛会」となり「伊勢会」となって今日に至っております。
伊勢会の組織
伊勢会は氏子区域を越えた崇敬者の組織で、「大神」(1人)は11月頃に前五代まで(当代は加わらない)の大神を務めた方々が集まり、極秘で佐賀市内の有力実業家の中から選考し、酒一升鯛一尾(一世一代の意)を持参してその家を訪れ、次代大神に指名する旨を報告します。指名されると否応なしに受けなければなりません。以前は適当である候補者をそれと知らせず神前にてくじを引かせ、意中の大神に当たるように仕掛けていたと言います。
指定小神(二人、現在は四人)は大神の指名により決められ、大神の秘書役として、全小神の中心になって働きます。
小神(十四人)は旧市内を十三区域(二十三ヶ町宛)に分け、一区域に1人ずつ大神と同様の方法で町内の有力者の中から決められます。小神選考は大神の決定に続き十二月頃に行われます。他の一人は第四十四代の時から新市内の代表として幾つかある農業協同組合の組合長が順番に務められていました。現在は、合併して新市となり、大和地区、諸富地区、川副地区、富士地区、東与賀地区、三瀬地区、久保田地区が新たに加わり、二十ニ地区で小神は二十ニ人となっております。
大神、小神という名称や通渡神事などは伊勢講当時の踏襲であると言われておりますが、大神、小神の関係は民主的に運営はされているものの、責任と情愛においては正に、古風な親方、子方的なものと言えるでしょう。伊勢会の大神、小神は大正十二年を初代として、以来組織の大きな変化はなく、戦時中も途切れることなく、令和七年現在の第百四代に至ります。現佐賀商工会議所の前身である佐賀商業会議所は明治30年に設立されましたが、当初ははっきりと組織された団体ではなく、伊勢講の加入者が伊勢講によって横に結ばれた商業者の集いであったようだといわれています。つまりは伊勢講が佐賀商工会議所の母体になったわけです。
伊勢会は佐賀市民が大神宮を尊いものとして大切に崇めていることから、大神、小神の「一生一代」という献身的な奉仕により年と共に栄え、また実質的に佐賀市の公的存在であるといえるでしょう。
