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伊勢会

第百三代伊勢会紹介

第百三代
大神/田島 広一

 伊勢神社は、今からおよそ四百六十年前に伊勢皇大神宮(伊勢神官内宮)より全国で唯一分霊を許された由緒あるお社で、「九州のお伊勢さん」として親しまれています。
 今からおよそ百三十年前に米穀商による「佐賀米会所」が設立され、その後商工業者も参加して「伊勢講会」となり、その後「伊勢神社奉賛会」、そして今日の「伊勢会」となりました。大正十二年からは伊勢会の祭典委員として大神と小神が選任され、毎年「建国記念日」を中心に、これまで戦中戦後も途切れることなく、子孫繁栄・商売繁盛・五穀豊穣を祈願しています。
 この度、伊勢会の第百三代大神を拝命いたしました。私が勤めます田島株式会社は大正十一年に創業し、まさにこの伊勢会の発展と伴に、私どもも時を重ねて来たと自負しております。由緒ある伊勢神社が私たちの住む佐賀に存在していることを一人でも多くの皆さまに知って頂く伊勢会を目指していきたいと思います。
 私たち、百三代伊勢会は、私と四名の指定小神、二十二名の地区小神の二十七名にて、力を合わせて、春季祭、夏季祭、例祭、秋季祭、そして令和七年二月十日、十一日には、県民の皆さまはもちろん、広く県外からも参拝客をお迎えし、にぎやかな中にも、おごそかな雰囲気のもと盛大に「伊勢大神宮大祭」を執り行います。皆さまのご参拝を心よりお待ちしております。

第百三代伊勢会大神 田島 広一


  • 宮副指定小神
  • 坂田指定小神
  • 川代指定小神
  • 田畠指定小神
  • 大和地区
    三瀬小神
  • 三瀬地区
    豆田小神
  • 東与賀地区
    陣内小神
  • 神野西地区
    平野小神
  • 西魚地区
    今川小神
  • 鍋島地区
    増田小神
  • 諸富地区
    廣津小神
  • 富士地区
    合瀬小神
  • 川副地区
    髙尾小神
  • 久保田地区
    中野小神
  • 神野東地区
    古川小神
  • 松原地区
    諸冨小神
  • 大財地区
    増田小神
  • 循誘地区
    納富小神
  • 水ヶ江地区
    田中小神
  • 唐人地区
    吉富小神
  • 高木瀬地区
    音成小神
  • 愛敬地区
    首藤小神
  • 白山地区
    江頭小神
  • 八戸地区
    田久保小神
  • 与賀地区
    森川小神
  • 道祖元地区
    横尾小神
  • 事務局
    雪竹
  • 事務局

佐賀伊勢会会長、佐賀伊勢会顧問

  • 会長/本島 直幸
    第八十九代 大神
  • 顧問/中村 敏郎
    第八十六代 大神

伊勢会大神前六代紹介

  • 第九十七代
    大神/福岡 桂
  • 第九十八代
    大神/古賀俊海
  • 第九十九代
    大神/中野武志
  • 第百代
    大神/中尾清一郎
  • 第百一代
    大神/吉原正博
  • 第百二代
    大神/山田裕久

伊勢会のご紹介

伊勢会の沿革

天正二年(1574年 室町時代)鍋島藩祖の鍋島直茂が佐賀築城の際に、当時栄えていた鍋島蠣久より現在の地に経済の中心を移すべく蠣久市場に座を設けていた雑穀、酒類、油類、木綿類、鋳物類、塩の六業社を城下に移り住ませたのが六座町で、同時に天満宮もその町内に移し(現 北面天満神社)ついで慶長十年(1605年 江戸時代)に蛎久より大神宮を移し伊勢大神宮を建立し、その門前町としての伊勢屋町は、参詣や商用で城下を訪れた人が宿泊する旅館街であり、伊勢屋本町には呉服屋が軒を並べていました。点合(てんや)町は夜店が立つ町で夜遅くまで露店が並び賑やかで、これらの町を中心として佐賀の商業が繁盛するに至りました。明治初期までは六座町の天満宮の祭礼も盛大に行われ、伊勢神社への参拝も絶えなかったのですが、明治維新後社会の変動によって天満宮の祭礼は中絶、伊勢神社への参拝も少なくなりました。明治十七年に至って佐賀米会所(後に佐賀米穀取引所となる)が設立され、ここをとりまく米穀商が「伊勢講」を結成、毎年二月十一日に伊勢神社前で米相場を立て取引を行い、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、売買手数料の一部を神社維持費に充てるようになりました。それが年々盛んになり米穀商だけでなく、その他の商工業者も参加するようになり、その総代として大神、講員の中から小神と呼ばれる世話人も選ばれるようになりました。この「伊勢講」は大正初期まで続いたようですが、時代の移り変わりと共に「伊勢神社奉賛会」となり「伊勢会」となって今日に至っております。

伊勢会の組織

伊勢会は氏子区域を越えた崇敬者の組織で、「大神」(1人)は11月頃に前五代まで(当代は加わらない)の大神を務めた方々が集まり、極秘で佐賀市内の有力実業家の中から選考し、酒一升鯛一尾(一世一代の意)を持参してその家を訪れ、次代大神に指名する旨を報告します。指名されると否応なしに受けなければなりません。以前は適当である候補者をそれと知らせず神前にてくじを引かせ、意中の大神に当たるように仕掛けていたと言います。
指定小神(二人、現在は四人)は大神の指名により決められ、大神の秘書役として、全小神の中心になって働きます。

小神(十四人)は旧市内を十三区域(二十三ヶ町宛)に分け、一区域に1人ずつ大神と同様の方法で町内の有力者の中から決められます。小神選考は大神の決定に続き十二月頃に行われます。他の一人は第四十四代の時から新市内の代表として幾つかある農業協同組合の組合長が順番に務められていました。現在は、合併して新市となり、大和地区、諸富地区、川副地区、富士地区、東与賀地区、三瀬地区、久保田地区が新たに加わり、二十ニ地区で小神は二十ニ人となっております。

大神、小神という名称や通渡神事などは伊勢講当時の踏襲であると言われておりますが、大神、小神の関係は民主的に運営はされているものの、責任と情愛においては正に、古風な親方、子方的なものと言えるでしょう。伊勢会の大神、小神は大正十二年を初代として、以来組織の大きな変化はなく、戦時中も途切れることなく、令和五年現在の第百二代に至ります。現佐賀商工会議所の前身である佐賀商業会議所は明治30年に設立されましたが、当初ははっきりと組織された団体ではなく、伊勢講の加入者が伊勢講によって横に結ばれた商業者の集いであったようだといわれています。つまりは伊勢講が佐賀商工会議所の母体になったわけです。
伊勢会は佐賀市民が大神宮を尊いものとして大切に崇めていることから、大神、小神の「一生一代」という献身的な奉仕により年と共に栄え、また実質的に佐賀市の公的存在であるといえるでしょう。

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