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伊勢会

第百代伊勢会紹介

第百代
大神/中尾清一郎

 全国には8万社以上の神社があり、これはコンビニエンス・ストアの数より多いと言われています。また、八幡神社、稲荷神社は私たちの周りにもいくつか思いつくほど身近な存在です。一方、全国の神社の頂点に立つ「伊勢神宮」の勧請(かんじょう、分霊)は極端に少なく、その貴重な一社が佐賀にあることに大きな意義を感じます。江戸時代初期から守られてきた佐賀の伊勢信仰ですが、今から百年前、大正デモクラシーの時代、佐賀の経済人は米の豊作、事業の発展と国家社会の安泰を願って佐賀の伊勢神社を尊崇する「伊勢会」を結成し、毎年の建国記念日を中心にお祀りしてきました。伊勢会の「大祭」は太平洋戦争中にも継続され、昨年のコロナ禍の真っただ中でも関係者の熱意と慎重な準備により大成功の裡に催行されました。今年の伊勢会は100回目を迎えます。その意義ある代百代伊勢会の「大神」を拝命し、指定小神、地域の小神の皆さんと共にご奉仕できることを大変光栄に存じます。
 私は佐賀新聞社という明治17年(1884年)創刊の新聞社経営を通して佐賀に貢献したいと願っています。今回の伊勢会「大神」の大役を恙なく全うすることで、コロナ禍に沈みがちな人々を励まし、清い心と清浄を尊ぶ伊勢神宮の尊崇によって厳しい時代を乗り切る「心の拠り所」としていただきたいと願っております。皆さまのご参拝を心よりお待ち申し上げます。

第百代伊勢会大神 中尾清一郎


  • 千布筆頭指定小神
  • 山下指定小神
  • 堤 指定小神
  • 奥田指定小神
  • 三瀬地区
    栗原小神
  • 高木瀬地区
    古賀小神
  • 大和地区
    池町小神
  • 大財地区
    船津丸小神
  • 富士地区
    松原小神
  • 諸富地区
    樺島小神
  • 神野東地区
    森 小神
  • 鍋島地区
    古川小神
  • 八戸地区
    木下小神
  • 白山地区
    香田小神
  • 川副地区
    大坪小神
  • 久保田地区
    福田小神
  • 東与賀地区
    石丸小神
  • 循誘地区
    堤 小神
  • 松原地区
    田代小神
  • 水ヶ江地区
    永田小神
  • 道祖元地区
    池田小神
  • 唐人地区
    吉村小神
  • 西魚地区
    松尾小神
  • 神野西地区
    坂井小神
  • 愛敬地区
    水町小神
  • 与賀地区
    川代小神
  • 事務局
    蕪竹
  • 事務局
    恒松

佐賀伊勢会会長

  • 第八十六代
    大神/中村 敏郎

伊勢会大神前六代紹介

  • 第九十四代
    大神/古賀久志
  • 第九十五代
    大神/高尾秀樹
  • 第九十六代
    大神/松尾政信
  • 第九十七代
    大神/福岡 桂
  • 第九十八代
    大神/古賀俊海
  • 第九十九代
    大神/中野武志

伊勢会のご紹介

伊勢会の沿革

天正二年(1574年 室町時代)鍋島藩祖の鍋島直茂が佐賀築城の際に、当時栄えていた鍋島蠣久より現在の地に経済の中心を移すべく蠣久市場に座を設けていた雑穀、酒類、油類、木綿類、鋳物類、塩の六業社を城下に移り住ませたのが六座町で、同時に天満宮もその町内に移し(現 北面天満神社)ついで慶長十年(1605年 江戸時代)に蛎久より大神宮を移し伊勢大神宮を建立し、その門前町としての伊勢屋町は、参詣や商用で城下を訪れた人が宿泊する旅館街であり、伊勢屋本町には呉服屋が軒を並べていました。点合(てんや)町は夜店が立つ町で夜遅くまで露店が並び賑やかで、これらの町を中心として佐賀の商業が繁盛するに至りました。明治初期までは六座町の天満宮の祭礼も盛大に行われ、伊勢神社への参拝も絶えなかったのですが、明治維新後社会の変動によって天満宮の祭礼は中絶、伊勢神社への参拝も少なくなりました。明治十七年に至って佐賀米会所(後に佐賀米穀取引所となる)が設立され、ここをとりまく米穀商が「伊勢講」を結成、毎年二月十一日に伊勢神社前で米相場を立て取引を行い、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、売買手数料の一部を神社維持費に充てるようになりました。それが年々盛んになり米穀商だけでなく、その他の商工業者も参加するようになり、その総代として大神、講員の中から小神と呼ばれる世話人も選ばれるようになりました。この「伊勢講」は大正初期まで続いたようですが、時代の移り変わりと共に「伊勢神社奉賛会」となり「伊勢会」となって今日に至っております。

伊勢会の組織

伊勢会は氏子区域を越えた崇敬者の組織で、「大神」(1人)は11月頃に前五代まで(当代は加わらない)の大神を務めた方々が集まり、極秘で佐賀市内の有力実業家の中から選考し、酒一升鯛一尾(一世一代の意)を持参してその家を訪れ、次代大神に指名する旨を報告します。指名されると否応なしに受けなければなりません。以前は適当である候補者をそれと知らせず神前にてくじを引かせ、意中の大神に当たるように仕掛けていたと言います。
指定小神(二人、現在は四人)は大神の指名により決められ、大神の秘書役として、全小神の中心になって働きます。

小神(十四人)は旧市内を十三区域(二十三ヶ町宛)に分け、一区域に1人ずつ大神と同様の方法で町内の有力者の中から決められます。小神選考は大神の決定に続き十二月頃に行われます。他の一人は第四十四代の時から新市内の代表として幾つかある農業協同組合の組合長が順番に務められていました。現在は、合併して新市となり、大和地区、諸富地区、川副地区、富士地区、東与賀地区、三瀬地区、久保田地区が新たに加わり、二十ニ地区で小神は二十ニ人となっております。

大神、小神という名称や通渡神事などは伊勢講当時の踏襲であると言われておりますが、大神、小神の関係は民主的に運営はされているものの、責任と情愛においては正に、古風な親方、子方的なものと言えるでしょう。伊勢会の大神、小神は大正十二年を初代として、以来組織の大きな変化はなく、戦時中も途切れることなく、令和三年現在の第百代に至ります。現佐賀商工会議所の前身である佐賀商業会議所は明治30年に設立されましたが、当初ははっきりと組織された団体ではなく、伊勢講の加入者が伊勢講によって横に結ばれた商業者の集いであったようだといわれています。つまりは伊勢講が佐賀商工会議所の母体になったわけです。
伊勢会は佐賀市民が大神宮を尊いものとして大切に崇めていることから、大神、小神の「一生一代」という献身的な奉仕により年と共に栄え、また実質的に佐賀市の公的存在であるといえるでしょう。

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